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「何を成したいのか」を、できる限り早く見つける手伝いを。山崎進(北九州市立大学准教授)〜Forkwellエンジニア成分研究所

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小学生の頃から、プログラミングに明け暮れた

――現在の業務内容を教えてください。

山崎進(以下、山崎) 大学でプログラミングを教えています。北九州市立大の情報メディア工学科(来年度から情報システム工学科)でプログラミング教育およびカリキュラムデザインを研究し、授業も持っています。大学ではこれまでC言語一本で指導していたんですが、今後はC言語とPythonの2本立てでカリキュラムを作成しようとしています。

北九州市立大はenPiT everi(参照)という社会人向けプログラムをやっているのですが、その科目の1つに「おもてなしIoT」というものがあります。観光業にIoTを導入する実務的な授業を、次回のインタビューで登場する森さんと一緒にやっています。

――おもてなしIoTとは、観光業者にレクチャーしに行く形なんでしょうか?

山崎 いろいろなパターンがありますね。観光業の方々がデータ分析したいニーズもあると思いますし、IoTに進出したいシステム会社の方々が観光業をどうデータ分析するか学ぶことでIoTの製品を作ったり、製品企画の仕事を受注できるようにするニーズもあると思います。enPiT everiでは5つの産業を選定してまして、観光業の他には農業、FA(工場の生産ライン)、自動車産業、医療・ライフケアの5つにフォーカスしています。

enPiT everiは北九州市、広島市、宮崎市、熊本市にある大学(広島市立大、宮崎大、熊本大、北九州市立大、九州工業大)で連合チームを組み、4地域の主力産業をピックアップしています。enPiT everiの everi というのはEVがevolving(進化させる)、Eはenpowering(力づける)、RIはregional industry(地域産業)ということで、地域産業で活性化させるという社会人教育プログラムという意味です。18歳から入学する学生だけでなく、社会人も教育していこうとしています。

――これまでのご経歴を伺わせてください。

山崎 小中学生の頃から「ゲームプログラマーになりたい」と思って、プログラミングしてゲームを作ることに明け暮れていました。代表作は3つあって、1つ目は高校時代に作った、身長と体重を元にして太ってるか痩せてるかを計測するBMIを、3Dのワイヤーフレームでグルングルン回転させたもの。単に数字をプリントすればいいのですが、当時「コンピューター研究会」という技術力を誇示する場所に所属していたので、無駄に凝った作りにしていました。

2つ目は「これからは格闘ゲームが流行る」と思って、でかいタコのキャラクターが殴り合うゲームを作りました。ストリートファイターIIが流行る1年ぐらい前のことです。3つ目は、その格闘ゲームに搭載していたBGMを鳴らすプログラムです。FM音源という一種のシンセサイザーを使って流すものでした。

大学の進路を選ぶにあたっては情報系に行きたいと思ったんですが、センター試験の成績が悪くて。情報系は一番人気だったので、難しいと思って第2志望を材料系で志望を出したんです。当時は、材料系の人気がなかったので。そうしたら、材料系が受かっちゃったので東京工業大に進学しました。

知り合いも親戚もいない九州へ

山崎 大学時代はいい友達に恵まれましたが、いかんせん授業の内容に興味がなくて成績は低空飛行。それで、情報系の大学院へ行きたいと思ったんですが院試があるんですね。情報系だったら、情報系の勉強をした人なら合格できる内容です。でも、僕はそれまで情報系を勉強していないので受かるはずがない。

当時は金属工学科に行っていたのですが、大学院のために情報系も勉強しないといけないと。これを両立するのは無理だと思いました。それで、いろいろ探したら金属の試験でも受験できる大学院を見つけたんです。正確にいうと、大学内のどの専攻の試験を受験してもよくて、その専攻内で半分以上の成績を取れば合格というもの。それで試験を受けて、なんとか情報系に行くことができました。

最初はOSの研究がしたいと思って。高校の時に作った3作品のうち、音楽のBGMを鳴らすやつが割込みなどを駆使した複雑なプログラムだったので、デバッグがすごく大変だったんです。学部時代に図書館で本を探した時に、「ITRON」というOSに出会いました。日本で生まれた、世界的なOSです。ITRONには、音楽のドライバを作るのに必要な機能が備わっていたんですね。

それで興味を持って、OSの研究室に行きました。ただちょうどその頃、OS研究は大きな流れが変わろうとしていたタイミングでした。Windows 95が出た頃で、「OSの仕組みはマイクロアーキテクチャで決まり」という流れになっていました。それで、別の研究にシフトしていくことになって。私はOSの仕組みについて研究したかったので、途方に暮れていましたね。

それでプログラミング言語処理系、プログラムを書いてコンパイラに食わせて最適化して早く実行できるようにする研究にシフトしたらどうかと考えて、そちらの研究をして修士を卒業しました。でも、ドクターの最初の年に大病をしてしまって。結局、そのあと10年を棒に振ってしまったんです。

――10年も!

山崎 リハビリしているうちに当時の研究も最先端に移り、僕の研究アイデアも通用しなくなってしまいました。それで、博士号を取るために頑張りつつ就職しようと思って、回復した頃に助手として採用してもらったんです。

その頃、知人が研究者向け転職サイトを見て勧めてくれたのが、前職である九州の研究員の仕事です。それまで九州なんて行ったこともないし、知り合いも親戚もいない。半ば旅行気分で行ったら、面接に受かっちゃった。それで、九州大学の先生が中心になっている研究プロジェクトに参加しました。それが最初のキャリアです。

それから話は飛んで、今は北九州市立大で准教授をしているのですが、赴任から10期ぐらいたった後に、Elixirを使って福岡の企業のプロダクト開発やSIをやっていくコミュニティ『fukuoka.ex』を主催している森さんに出会いました。森さんに「Elixirの研究をしよう」という話をいただいて、またプログラミング言語処理系の研究をすることになりました。

人工知能の言語は、今はPythonが主流です。でも、見通しとしてはElixirに置き換えた時にPythonの3倍以上スピードが出るんです。元々、Elixirは高速なWEBシステムを作るのに向いていますから、それに人工知能を結びつけるとどんな事が起きるか。世界中にあるIoT機器からの送受信を、Elixirでさばくことができるんです。世界中からデータを集めて、人工知能が瞬時に判断して高速に処理し、結果をどこかに蓄積したり別のユーザーに通信したり。そういう可能性あるアプリができるんです。

私が研究している地域課題を解決するアプリの中にも、人工知能を必要とする案件が増えています。Elixirでインフラを整えたら、実際に社会の役にたつアプリケーションを作れるわけですね。みんなに喜んでもらえて、学生も開発の経験が積めて、アプリを作ることで技術的な課題も見えてくる。Elixirの研究も進められる。いまは、そちらの研究を進めています。

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一所懸命にやれば道は開ける、けれど

――10年間リハビリをされてる時は、当然ながら研究も何もできない状況だったのでしょうか?

山崎 そうですね、ほぼ何もできなかったです。研究室に顔は出していましたけど、自分自身の研究ができる状態ではなかったです。

――10年は相当長いと思うんですが、気持ちが切れたりすることはなかったですか?

山崎 切れっぱなしでした(苦笑)。研究で身を立てる気も最初はなくて、他の仕事を探そうと思ってました。ですけど、研究に身を立てた方が結局は一番の近道だとわかったので。回復してきたところで再始動したいと指導教員に伝えました。

――これだけの期間を乗り越えられたのは、研究したい思いからですか?

山崎 それは全くなかったです。思い出すとただ辛かったですね。辛い中で「なんとかこれだったらできるかもしれない」というものを探り続けた結果、研究する道だけが残った感じです。研究自体にモチベーションがあったわけでもなく、それしかないよねと。

――ただ、今はご自分の中で一番やりたいことになっていると。

山崎 そうですね、なってますね。

――業務を行なう上で大事にしているモットーや好きな言葉があれば教えてください。

山崎 それは特にないです。ないんですけど、ちょっと関係ある話を。10年前ぐらいに共同研究していた頃、同僚の先生が急に退職することになって。それも新学期の2週間前に、共同研究企業先に。同僚である僕も、周囲の先生も寝耳に水。当然、授業も放り出すことになったので、僕が肩代わりすることになって大変でした。

ただ、その時もこれまでも一所懸命にやっていたからか、周りの人が助けてくれました。一所懸命にやっていれば、道は開けるものだなと思いましたね。倒れてしまったこともそうだし、同僚の先生の退職で大変なことになったときもそう。一所懸命やっていたので、周囲に助けてもらえたんだなと思うんです。

ただし、それはすごく回り道かも知れません。昔は全然戦略を考えるタイプじゃなくて、「これだ」と思うものにわーっと飛びつく行動力だけはあったんですね。ただ、方向性が毎回違ったので、全体としては迷走する状態で。30代後半までは、そんな人生でした。「一所懸命にやれば道は開ける、ただしとんでもない周り道かもしれない」、それが僕のここまでの半生かなと思います。

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「Personal Vision Co-Creator」とは

山崎 その状態を脱することができた話があります。株式会社ソニックガーデンの倉貫義人さん(参照)に出会うことができました。以前からブログを拝見していて、すごくファンだったんです。

倉貫さんとリアルに知り合うきっかけになったのは,2012年に鹿児島で行なった「ソフトウェアテストシンポジウム 2012九州 (JaSST '12 Kyushu)」というイベントに倉貫さんを呼んだことです。イベントは無事盛況に終わり、その翌日のお昼に鹿児島で一番おいしいお蕎麦屋さんでお話をしました。「教育関係で起業したい」とずっと思っていたので、倉貫さんにメンターになっていただいたんです。

その時に、自分が大事にしている価値観は何かと考えました。9つの価値というのにまとめました。そのあと、ミッション、すなわち自分の存在意義をまとめました。それは教育を通じて、業界の違いを乗り越えてチャレンジする、起業家マインドを持つ学生を育てていくこと。それが自分の存在意義だと思ったのです。ミッションの延長線上にどういう理想があるかというビジョンを考えた時に、「みんなが創意工夫をする社会にできたら」と思ったんです。

倉貫さんの導きによって価値観、ミッション、ビジョンを整理しました。結局、紆余曲折あって起業は断念したのですが、それは前向きな決断でしたね。「起業しないで大学に居続ける方が、自分のビジョンにとって一番よいことだ」と気づけたんです。

ただ、40代になって価値観、ミッション、ビジョンに気づいたのは「時間がかかりすぎたな」と思います。20代で気づけたら、もっと大きな仕事ができたと思います。だから、社会人を含めてできる限り早く「自分がどんなことをしたいのか」を見つけられるようになってほしい。それで、「Personal Vision Co-Creator」を名乗るようになりました。

「Personal」は個人のという意味ですけど、要は「人の」ということですね。人のVision、志、野望、野心を一緒に見つける。Creatorは、ゼロからイチを作り出す。「Co-」を付けたのは、「一緒に」という意味。その人と対話を通して、一緒に作り上げていくのが僕のスタイルです。倉貫さんのスタイルを参考にしながら、独自に編み出していきました。

学生の指導でも、この考え方を使っています。卒業研究の指導でも学生がいま持っている個性、やりたいこと、強みなどを集め、その延長線上に「どんな自分になりたいか」を最初に議論するのが大事だと思います。卒業研究とは「将来こうなりたい」「1年後にはこうなりたい」ということを議論して、そこに向けて行なうあらゆる活動を指します。その中で、論文にしやすいものを卒業論文にするのが良いと言っています。

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・仲間 5

fukuoka.exのように、仲間と濃密な関係で研究開発していくのが心地よいです。そういう仲間をずっと探し続けてきたので。地域課題を解決するという関心事を、いろいろな人と関係を持って成していくというのがいいと思っています。僕がElixirの研究をしたいといっても、それを選んだのは森さんや周囲の存在があってこそ。fukuoka.exの仲間たちがあるから、愛着があるんです。fukuoka.exのメンバーで別の言語を作ろうという話になったとして、Elixirよりベターな選択になるなら全然良いと思います。

・働き方自由度  5

大学の先生って自由な仕事で、「この授業を教えてください」というものを満たしてさえいれば基本は何をやっても良いんですね。最低限授業をちゃんとやる、学生の指導をしっかりやるとか。どういう研究テーマを選んでも良いし、自分で仕事の内容を決められる。ストレスなく仕事にのめり込めるというのが大事かなと。

残業が多くなくても過労死してしまう場合、多くはこの働き方自由度が足りなさすぎて精神的に参ってしまうのかなと。もっとも、いかに自由でも、私がそうだったように、身体を壊すときは壊すのでそこは気をつけないといけないですよね。

・事業内容 4

自分の最上だと思う事業、あるいは人が決めた事業内容でもそれに共感できるというのが前提ですね。事業というのは「会社の仕事がこうです」ではなくて、人生で何を成し遂げたいのかが大事で。

ただ、事業内容が今決まってなくても良いんです。僕は「Personal Vision Co-Creator」なので、ビジョンがなくてもまずは「こんな自分から脱却したい」という強さが大事だと思うんです。何かをしたいという思い、変わりたいという思いが大事だと思います。

・専門性向上 3

人生の目標が決まった上での話で、そこが決まった上で「これで飯を食っていく」があったら自分の飯の種を撒いていくのが大事ですね。

・お金 2

それらを成し遂げた上で、お金がついてくると思っています。ついてこないんだとしたら、職業選択の時点で間違っていると思うので、もうちょっと違う仕事をした方が良いと思います。

・社畜度  1

意外と、社畜なんですよ(笑)。北九州市立大学という「会社」に、定年まではいようと思っているので。ただ、放り出されて明日から先生じゃないですと言われてもなんとかなるようにはしようと思っています。自分で考えて「大学のためになることってこうだよね」と考えては行動しますが、それは自主的なものなので。愛社精神、忠誠心は溢れていると思います。

上記は仕事上大事にしているというより、こういう順番で考えているという感じですね。まず仲間がいてその中で自分の働き方の自由を追求して、事業内容を選んでその中で自分を磨き上げて、お金がついてきて、最終的に仲間とか事業体というものへの意識が高まるというものですね。

――ありがとうございます。最後に、転職を志す人へのメッセージをお願いいたします。

Twitterで相談箱というサービスがあって、それを利用して相談を受け付けています。最近引っ込めちゃったんですけど、近々また再開させようと思っています。転職する時に自分の天職、就くべき仕事に迷いがある時は気軽に相談してください。それを一緒に見つけ出すのが、Personal Vision Co-Creatorの仕事だと思っています。

<了>

ライター:澤山大輔


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